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「主を恐れることを教えよう」 井上 慎治 牧師
詩編 34編
Ⅰ. あらゆるときに主をほめたたえる (1-10 節)
  あらゆるときに主をほめたたえると言う詩人のことばは、「神に信頼していても人生には逆境がある」ことを
 暗示しています。詩人は苦しみの中で主の救いを体験しました。主は、「主を恐れる者」を、すべての恐怖と
 苦難から救い出します。天の軍隊が主を恐れる者の代わりに戦うのです。この救いの体験が、詩人の賛美の
 原動力です。

II. 恐れるべきお方を恐れる (11-14 節)
  「主を恐れること」は、聖書を貫く重要なテーマです。「恐れ」を表す一般的なヘブライ語「ヤレ」は、「心配」
 から「恐怖」まで程度はさまざまですが、「怖がる、恐怖する」という人間の感情を表します。
  例えば、十戒賦与 (出エジプト19−20章) の出来事において、分厚い雲の中で火と雷と共に降りて来られた
 主を見た民は、非常に恐怖して震え上がりました。主が恐ろしい形で降りて来られた理由は、「罪に陥らない
 よう、神への恐れ(ヤレ)があなたがたに生じるため」でした。罪に陥らず、主に信頼して主に服従するという
 信仰者の生き方は、「本当に恐怖すべきお方を恐れること」からはじまります。箴言や伝道者の書でも、
 「主を恐れる(ヤレ)ことは知識の初め」(箴言1:7) 、「神を恐れよ(ヤレ)。神の命令を守れ。これが人間に
 とってすべてである。神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれる
 からだ」(伝道者12:13−14) と言われています。人間の生き方、心の思いのすべてを見、最後にさばきの座に
 立たせる主を恐れて生きることが、永遠の運命を決める知恵だということです。
  34篇の詩人も同じ「主を恐れること」という原則に立ちつつ、いつも心を注意深く見守り、悪から離れ、
 主のみこころに適う善いことや、主にある平和を求めよと勧めています。まことに恐れるべき主を恐れている
 なら、その主が共にいてくださるのなら、もはやこの世の何ものをも恐れる必要はありません。

III. 主を恐れる者の幸い (15-22 節)  
  詩人は、悪しき者にも主を恐れる者にも、この世にあっては悪が等しく降りかかると語ります。むしろ、
 主を恐れる者は、主の前に誠実に生きようとする分、むしろ苦しみは多くなります。この世のことだけに目を
 向けるなら、主を恐れて生きることは損だと思えますが、永遠に目を向けるならどうでしょうか。
 主を恐れない悪しき者は、死後、その心と生き方との責めを負わされ、滅びることになります。
 主を恐れ、誠実に生きた者は、その信仰のゆえにあわれみを受け、責めを問われません。

結)
  私たちは人生の中で、健康、仕事、家族、経済、その他さまざまなことで「心配」「不安」「恐怖」を抱くこと
 があります。そのような時、私たちは「本当に恐れるべきお方」を忘れてしまっているのです。
 主イエスは、マタイ10:28において、「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。
 むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい」と言われました。
  本当に恐れるべきは、 私たちの永遠の運命を決めることができるお方、主だけです。
 恐れるべきお方を恐れる時、「この最強のお方が、私と共にいて、味方となってくださる」と、詩人と同じように、
 この世のものへの恐れを乗り越えていくことができます。
 最強の神が共にいるなら大丈夫。それは、主を恐れる者に与えられる平安です。
 この平安をいただいて、順境の時も逆境の時も、どんな時でも主を賛美していきましょう。

 
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